for Irving

師Irvingに捧ぐ

巻第十

万葉集 巻第十春雑歌 1873 何時鴨 此夜乃将明「」之木伝落梅花将見 「」はウグイス いつしかも この夜の明けむ 鶯の 木伝ひ散らす 梅の花みむ 「いつしかも」は 「いつかは明けるだろう」等の曖昧な待望ではない。「当然の様にもうすぐ明ける」疑いの無い確…

飛鳥 川原寺の源流

佐賀県の吉野ヶ里に卑弥呼女王の墓墳が有り その東山の麓に豊山道場が建てられた。523年にスタートしたこの仏教道場は 倭(い)の五王 武王とその妃 神功皇后の間に誕生した磐井(500年12月14日生れ)が建立した。九州王朝の連邦国 東南アジアの範囲の修行僧を集…

蘇生

アイリスを育てておいでのお宅を訪ねて 撮影の許可をお願いした折 「昨日 周りの雑草を刈った際 一本間違えて切ってしまった」と。 その萎れたホワイト一本を丁重に頂いて帰りました。一昼夜かけて養生しましたら 願いを聞いてくれたのか 蘇りました。微弱な…

山本周五郎短編−2

「古今集巻之五」 65首からなる巻第五秋歌下はいきなり著名歌から始まる。 249 文屋康秀 吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ 277 凡河内身弓恒(身と弓で一文字) 心あてに 折らばや折らむ初霜の 置きまどわせる白菊の花 294 業平朝臣 …

山本周五郎の短編

長編は「樅木はー」は表現や展開に参考になり 読む度に新たな感動を呼ぶ魅力に溢れていて好ましい。「虚空遍歴」が身につまされる共感が堪らない。中編というか「さぶ」などは書いてみたい身近さの魅力に溢れている。 そこにゆくと短編は珠玉の作品が多く一…

飛鳥川原寺の謎 続編

三尊塼仏がこれです。川原寺の側 板蓋神社⛩の崖付近から1600前後出土しました。主尊一体の塼仏も含めると数十の事例は有りますが これ程の多量な出土は川原寺のみです。しかも一枚には はっきりと「阿弥他」と「陀」では無く「他」の表記がされております。 …

「飛鳥川原寺」のナゾ

七つのナゾが有るらしい。 1・創建の時期 目的 2・焼失の経緯 3・特異な伽藍構成 4・特殊な礎石 瓦 5・仏事 伎楽団の存在 6・塑像仏の出土 7・三尊塼仏の多量出土 プラス私のナゾ 8・インドからの数人の来客 9・弘福寺と川原寺 仏陀山東南院弘福寺 (新義真言…

八葉複弁蓮華文軒丸瓦

古代の瓦当のデザインは優れたものが多い。殆どが朝廷の管理下に置かれた様でこの八葉複弁蓮華文軒丸瓦も例外では無い。飛鳥川原寺に使われ その後 公私二十数ケ所にも使われた。天武天皇に貢献した豪族たちの菩提寺に使用を許した説が有り 中でも高句麗の遣…

国分寺跡が無い

スネナガヒコ ニギハヤヒの国にジンムが割り込んで来た頃は 狗奴国と呼ばれていた。ジンム系が途絶え ケイタイ と呼ばれているオサ?が入り込んで フソウ と呼ばれる国になったらしい。この経緯はあやふやなとこれが少なく無いが。つまり現在の奈良の周囲の…

女影の裏溝櫻 波波加

裏溝櫻がウワミズザクラで 波波加がウワミズザクラだなんて。 どんな五段活用? これも立派な サクラ🌸。 ピンク色はないらし。 花が咲いたので やがては種蒔き。 昨年500粒前後を採取 4種の冬季保存法に分けた。私はその内の2種担当。 地中と冷蔵。 果たして …

俊成師 冷泉家

photoは日野切れ 千載和歌集の巻第十五 恋五の926 927 928 です。日野家に伝わる冊子にならずページで伝わったもの。殷富門院の大輔 俊惠法師 円位法師(西行法師)の三首部です。私の大切な宝物です。 この撰者藤原俊成の書は触れなば切れる鋭利なヤイバです…

花垣

丁度西暦1000年弥生 時の一条天皇の中宮彰子のもとに東大寺僧侶が見事な八重櫻の大枝を携え御祝いに。中宮彰子に玉の様な皇子が誕生したのだ。後一条天皇として即位する皇子である。紫式部は新入りの伊勢大輔に取次を代わる。居合わせた皇子の祖父である左大…

値付け 考

私は昨年からMEC食派。 知人に同年の某名誉教授が居られ 同じ心臓の病持ちです。しかも彼はもう一つ 糖尿病まで付き合ってる。それも深刻。 糖尿病は 病ではありません。人類史上5000年来の食生活の変化に私達 人類の進化が追いついていないだけ。穀物等 糖…

花の色は

花の色は 雪にまじりて 見えずとも 香をだににほへ 人のしるべく 古今和歌集巻第六冬歌335小野篁朝臣 花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身よにふる ながめせしまに 古今和歌集巻第ニ春歌下113小野小町 小野小町は小野篁朝臣の養女と伝わる。 小町は養父…

裏溝桜→ウワミズザクラ

三月二十一日現在のウワミズザクラの花穂の状態です。間も無く開花しますので又 up致します。この桜は森や林の出口に好んで生息します。万葉の時代には ハハカノキ と呼ばれていました。 占いに 鹿の肩甲骨の裏側に溝を掘り ハハカノキの樹皮を燃やして焼き …

「高麗」の背景

photoはご存知 国家珍宝帳 聖武天皇が崩御され光明皇后が宝物を東大寺と法隆寺に奉納されたお品書き。 時の政権を担う仲麻呂 長手 そして福信らが自筆サインをした。 その福信だが こま を巨萬 と表記している。天平勝宝二年750年一月従四位上肖奈福信ら六人…

ミモザがミモザ

ミモザ記念日とやらはすぎてしまったが 見事なミモザに逢えました。 久し振りに 走行順路を変えるのもアリなのね。むせ返る様な咲き方は これはこれで。

宿谷氏と毛呂氏

西坂戸(埼玉県坂戸市) 高麗川が日高市で北上し やがて東に向きを変える。秩父山脈が平野に代わる地点に城山がある。山肌は険しく絶壁に近い。守りに適した山城の典型だ。 市は「田波目城」としているが 名称は何種類かある様だ。旧家長谷川家(狭山市柏原)に…

木曽(源)義仲と源頼朝

世に言う 清和源氏 です。 現実には清和天皇という天皇の存在はない。義仲と頼朝は 従兄弟同士。 義仲は信濃 頼朝は伊豆で挙兵する。 天下の、平家を破り上洛を果たしたのは義仲。寿永二年1183年七月。折しも全土で食糧難 飢餓でバタバタ死者の山。京も同様…

影隠地蔵 かげかくし...

埼玉県狭山市 鎌倉街道の信濃坂下に位置します。 木曽義仲の嫡男義高が逃れ 途上入間川の渡し舟で追討軍に追いつかれます。 この地蔵堂に身を隠しますが 発見されます。

加治小二郎

智観寺(埼玉県飯能市中山) 仁治三年(1242年)建立の板碑。 板碑の調査研究はこの板碑がスタート原点である。加治小二郎(後の中山氏)の三十八回忌に建てられた。 詳細をGoogle map local guideに認めた。参照あれ。

「後白河院」井上靖著

昭和四十七年発行の古書を精査した。 平安時代から鎌倉時代へと大音響を伴い変化する。政(まつりごと)が朝廷から武家へと。第一部は蔵人が内府 藤原兼実に 第二部は藤原俊成の娘が建春門院の女御として後白河院を 第三・四部は内府藤原兼実が 間近の院を語る…

メッツァ ビレッジの北側で

宮沢湖は人造湖 灌漑用水の為の湖です。湖底に沈まずに生き残った集落に今年も白梅が見頃を迎えました。 縄文時代の遺跡も有り 氏族の城址 主な二氏族の末裔が脈々と活躍しております。南東に中山(加治)氏 北に町田(高麗)氏 埋もれた中世史の解明を進めます。

素心蠟梅

蠟梅には何種類かが存在する。 これは素心蠟梅で 他に満月と和 が有るらしい。

木曽義高 

木曽義高は 木曽義仲の嫡男。 源頼朝は人質として義高を預かる。 何か思惑が有ったのか よりにも寄って北条政子との間の姫君 大姫の婿にする。 義高を婿にしたのに 頼朝は義仲を滅ぼす。 政子 大姫 そして義高本人も身の危険を察知 大姫の衣装を着せ女装させ…

徳林寺

狭山市駅の南 どう歩いてもぶつかる?様な位置にある。引き締まった佇まいはこの寺院のただならぬ経緯を如実に語る。観応の擾乱を締め括る入間陣に足利尊氏の足跡を此処に求める識者の数は知れない。

何時もの佇まい

新年の喧騒から 何時もの佇まいに戻った 高徳神社。 ひとり 新年の御挨拶を。

横手神社と龍泉寺

我らの遊古疑考倶楽部の調査書をニ社寺にお届けしました。宮司さんも住職さんもお留守で 奥方様にお届け致しました。 さて 反応は 如何に?

岡城(仮名)土塁

昨日 懸案の土塁の調査と撮影を刊行。 ビツクリコが 何と板碑の破片。現場からは既に 嘉暦三年(1328年)の板碑の報告があるが 肝心の現物は征くへ知らず。 第二の板碑か? 表面が傷だらけで70mmの破片では断定は不可能だが 60%の確率で ま・さ・か・?