「飛鳥川原寺」のナゾ
七つのナゾが有るらしい。
1・創建の時期 目的
2・焼失の経緯
3・特異な伽藍構成
4・特殊な礎石 瓦
5・仏事 伎楽団の存在
6・塑像仏の出土
7・三尊塼仏の多量出土
プラス私のナゾ
8・インドからの数人の来客
9・弘福寺と川原寺 仏陀山東南院弘福寺 (新義真言宗豊山派)
1〜7は
九州王朝の存在を知ればナゾは殆どが解消する。卑弥呼の時代から連邦制の王朝時代が663年白村江に敗れるまで続いた。天皇は唐に23年?程人質に囚われた。その間 九州王朝文化を略奪して奈良に移築した。川原寺は吉野ヶ里の東 豊山道場付近の寺で 道場での僧侶育成にインドから招いた高僧用の寺院と思われる。法隆寺の前身 観世音寺の基礎となる寺院で近しい伽藍だ。