高麗山聖天院勝楽寺
新装なった鐘楼堂の脇に すっくと凛々しい立像がある。
「高句麗若光王」と台座に刻まれていますが 若光は王ではない。王族でもありません。668年 唐・新羅に高句麗は敗れる。遣民として入国 朝廷は無視出来ず 王姓と官位を与える。高麗王 従五位下。申訳に666年に高句麗の副使節で来日したらしい書込を書紀に挿し込む。
官位従五位下は大国に次ぐ国の国司 つまり 播磨守とか信濃守レベル。
しかし散位(官位はあるが役はなし)だ。
都の七条辺りの邸宅に緩い拘束と言っても余り違わない。武蔵国高麗郡には間違っても入っていない。