for Irving

師Irvingに捧ぐ

花垣

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丁度西暦1000年弥生 時の一条天皇中宮彰子のもとに東大寺僧侶が見事な八重櫻の大枝を携え御祝いに。中宮彰子に玉の様な皇子が誕生したのだ。後一条天皇として即位する皇子である。紫式部は新入りの伊勢大輔に取次を代わる。居合わせた皇子の祖父である左大臣道長に促され一首。

 

いにしえの 寧楽の京の八重桜

          今日九重に にほひぬるかな

 

中宮彰子邸の 新鮮などよめきが伝わる。独自の雰囲気を包含する数々の銘歌を残した伊勢大輔のデビューであった。

この八重桜の子孫が今も東大寺境内に遺る。三重県に花垣という地区があり その地では大切に現在もその子孫を管理しております。

花垣   このゆかしい地名に惹かれて 一度は訪れてみたい。

 

定家が小倉山百人一首に61番の歌として採用したのは 歌の善し悪しでは無く 唯 八重桜 のキィワードとしてなのです。隠岐島島流し後鳥羽上皇への言い訳じみた歌集にたまたま使われた。

ただラッキーな事にカルタとして後世の人々に継がれただけ。

本人の作品とは限らないデタラメや本人の代表的な作でもないものでも入れ 敢えて言うなら しっちゃかめっちゃか。

定家の厳父藤原俊成は尊敬して止まないが 出来損ないの長男は嫌いだ。